混沌としてるブログ

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「羽生」 見るとまず将棋の羽生さんが頭に浮かぶ?

「羽生」 見るとまず将棋の羽生さんが頭に浮かぶ?

フィギュアスケートの世界選手権は30日(日本時間31日) 米ボストン 男子ショートプログラム(SP) 2季ぶりの優勝を狙う羽生結弦 110・56点をマーク。貫禄の首位発進となった。

羽生 精神状態がグチャグチャな - 混沌としてるブログ

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いやぁ     素晴らしい



混沌が ふきとんだねぇ














「羽生」と見るとまず将棋の羽生さんが頭に浮かぶ?
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「羽生」と見るとまず将棋の羽生さんが頭に浮かぶ?
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「羽生」と見るとまず将棋の羽生さんが頭に浮かぶ?

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    羽生さんの 凄さ  伝説   


羽生善治(1970年~)日本の将棋棋士、十九世名人


1970年、埼玉県所沢市に生まれ、その後、東京・八王子市に移り住む。小学1年生のときに同級生から将棋の駒の動かし方を教わり、将棋に熱中する。2年生になり地元の将棋道場が開催する小中学生将棋大会に出場。その後、将棋道場に通うようになる。急速に棋力が向上し、小学3年のときに初段、4年生で四段に昇段。5年生になりアマ名人戦の都下予選を史上最年少で通過。4つの小学生大会で優勝する。
6年生の春、小学生将棋名人戦で優勝、同年、プロ棋士養成機関の奨励会入会試験に合格。奨励会は7級から三段までで構成。三段は三段同士のみの対戦となり、成績優秀者が四段昇段(プロ入り)となる。羽生善治は、驚異的な速度で昇級、昇段を重ね、1985年に三段で13勝4敗を記録してプロに昇格。史上3人目の中学生棋士となる。
1986年、プロデビュー初年度には全棋士中一位の勝率0.741(40勝14敗)を記録し、将棋大賞の新人賞と勝率一位賞を受賞。1988年度のNHK杯戦では、大山康晴加藤一二三谷川浩司中原誠と当時現役の名人経験者4人をすべて破って優勝する。
1989年、竜王戦でタイトル戦に初登場。研究会「島研」の恩師の島朗との熱闘を4勝3敗で制し、当時最年少記録の19歳で初タイトル獲得。棋界で名人位と並んで序列トップの竜王位に就いた。
1996年2月に将棋界で初の7タイトル独占を達成。2012年7月には十五世名人・大山康晴の通算タイトル獲得期数80期の記録を抜いた。全7タイトル戦のうち竜王戦を除く6つでの永世称号に加え、名誉NHK杯選手権者の称号を含め、史上初となる7つの永世称号を保持している。
十六世名人の中原誠は、羽生善治「オールラウンドプレーヤーで欠点がない。歴史上初の棋士。」と評し、谷川浩司(引退後に十七世名人)は、「羽生さんはあらゆる戦法を指しこなせる棋士。オールラウンドプレイヤーで変幻自在のため、どう指してくるのかわからない。攻めも受けも強い。こだわりが全くないのが特色。棋風がない。」と述べている。

「最高位は名人」

日本将棋連盟では「竜王」を最高位としており、「名人」は「同格」としています。長年将棋界では最高位は「名人」だったのです。しかし、(かつて)十段戦を主催していた讀賣新聞は、連盟から「将棋の十段戦も囲碁棋聖戦並の契約金がほしい」と言われたのに対し、「それなりの扱いをしてくれれば考えますよ」と答えました。そこで、連盟は讀賣の新しいタイトルの「竜王戦」を「最高位」とすることにしました。これによって、讀賣と高額な契約を結ぶことができるようになったのです。勿論、圧倒的多数の将棋ファンは「最高位は名人」という考えを変えていません。




「あっ、羽生さんの手が震えました」「ということは、羽生さんの勝ちですね」

 将棋番組を見ていると、解説者がそんなやりとりをしていることがありました。

 羽生さんは自分が勝ちだと分かると、手が震え出すのです。しかも震えたら100%羽生さんの勝ち
 
 他の将棋を指すプロは震えません

 震えるのは会いたくて震える西野カナくらいですかな

 

  どんくらい震えるか???


youtu.be

 



ただの日記でした


windryo2005.hatenablog.com


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